相手の真意を汲み取るには相手の人間性をわかってないと難しいというお話

島本和彦はひとのこといえるのか問題。 - Something Orangeこの話から↓に続く関連。
「島本和彦はひとのこといえるのか問題」について、島本信者の俺が書く。 - 一切余計
概ね同意である。島本和彦の発言には、基本的には(笑)が含まれている。どんなに熱弁していてもそこにはほんのちょっと(笑)が含まれている。それは、最早島本和彦という人間が熱血系ギャグマンガの一作品であったり、炎尾燃の化身であったりするからだ。

結局の所、島本和彦の発言における

「再創造を突き詰めるとガイナックスになる。ガイナックスはせっかく大ヒットを生み出してるんだから全部自分で考えればいいのに、あーいらいらするなぁ、また人のせりふを使ってるのかおまえら! と。ガイナックスのようなジャンルはあっていいが、自分で作れるんだから、自分から考えろと」

これをどういう解釈を取るかになる。

また人のせりふを使ってるのかおまえら!

特にココだ。
id:mimizuku004氏の所にも書かれている事だが、グレンラガンの大事なキーワードである

「無理を通して道理を蹴っ飛ばす」

というのが、

無理が通れば――!!

道理は引っ込む!!

という、島本和彦の漫画・逆境ナインが元ネタであるという話以外でも天元突破グレンラガン - Wikipediaをちょっと参照すれば分かるとおり、グレンラガンの劇中で、かなり大事な場面でオマージュを多様するというガイナックスお家芸真骨頂っぷりが見え隠れする。例えば、カミナの最後のセリフでもある

あばよ。ダチ公

は、グレンラガンと切っても切れない関係である、ゲッターロボの主人公の流竜馬が漫画版のクライマックスで言った台詞である。この作品の肝の一人であもる、カミナの最後のセリフですら、そのまま持ってきているわけだ。

個人的な話をすればそういうのは一切気にならない性質である。ただそれは俺が、受け手側だからだ。*1
同じクリエイターの立場の島本からすると思う所もあるというわけだ。ちなみに、やや脱線するが、島本和彦ガイナックスの事が大好きである。氏の、ラジオの中でも、何度もガイナックスの作品を特集しているし、その時にも、「通常の会社は、勿論企業だから、ある程度あきらめざる得ない所をあきらめたりするのだが、ガイナックスは、そうじゃない。本当に作りたい物を作ろうとして力を入れすぎるあまり、スケジュールなんか平気で無視しちゃったりする事までやっちゃう愛すべき奴らだ。」的意味の発言もしている。このガイナックスへの思い入れがあるからこその氏の「また人のせりふを使ってるのかおまえら!」につながる。これは、個人的解釈になるのだが、「お前らは、他の会社がつい力を抜いてしまう所で全力投球で愛情と熱意とパワーを練りこむだけの作品へ対する取り組み方が出来る。その上、それだけの素晴らしいスタッフを集めるだけの力とアニメ作品という大変な舞台で、で大HITを飛ばした実績をもあるし今回も素晴らしかった。のに、なぜそこで、大事な場面問わずガイナックス手法をするんだ。お前らならば、お前らならば、板野サーカスよりもカッコイイ弾幕避け表現を、キタン、カミナのカッコイイ死に様を、描けるだろ?もしこの世界のあらゆるアニメ会社が安易な既存の手法に頼っても、お前らには、その先を作り出す力があるはずだ!!!!!!!!!!!!」くらいの熱い熱意をこめつつ、しかしガイナックスの手法もちゃんと認めているので「しょーがーねーな(笑)」くらいのつもりで、なおかつ、自分のパロディー作家である部分も自分で理解しつつ、「おいおい」なんて突っ込ませるような論調でウケ狙いも混ぜ込みつつ後はいつもの島本節で、喋ったって感じだろう。

んで、続いて、id:kaien氏の発言である

過去の名作から雰囲気だけ借りてくる島本作品と、しばしば過去の名作の台詞や場面をそのままサンプリングして用いるガイナックスでは、同じパロディ、あるいはオマージュとはいっても次元が違う、ということはできる。ただ、その境界線はいかにも曖昧である。

そして、岡本太郎氏の文章を引用した上で

二次創作にも「模倣」にとどまらないものがある、と語っている。その境界を定めるのは「過去」にばかり頼らず「今日」の創造性をこめることだ、とも。ぼくも賛成する。歴史といい、伝統という。しかし、ただ過去の遺産を営々と守りつづけているだけでは、時代からおいて行かれるばかりだろう。本当に伝統を守るためには「過去」に「今日」の息吹をこめなければならない。そこには、十分にクリエイティヴなチャレンジがある。ぼくもそう思う。

という一連の流れだが。島本も勿論そのチャレンジ精神は、分かってるだろう。だからこその

ガイナックスのようなジャンルはあっていいが

なわけだ。

そして、重複するけど、そのチャレンジ精神は、分かる。から、そういうジャンルも理解できる。その場面では、いくらそのままその表現を持ってきたといわれてもそれしかないんだというのも理解できる。ただ、あなた達はそこにとどまらずその先にチャレンジだってできるでしょ?それだけの熱意と結果を出せる力があるでしょ?「過去」に頼らず「今日」を想像し、想像力が溢れすぎて「未来」をも紡ぎだせる力があるでしょ?という意味での、「全部自分で考えろ」なわけだ。そして、島本もそのスタンスでいるからこそ、雰囲気だけ借りてくる程度でしか使わないわけだ。そのまま場面やセリフをもってくる事は無いわけだ。「自分で考えている」からこそ島本ファンが、島本マンガの独特な名言達(心に棚を作れとか)を愛しているわけだ。

まとめると、これは島本和彦から愛すべきガイナックスへ対するエールである。島本特有の熱意と、ただ、それをそのまま伝えるのではなくウケ狙いも混ぜつつやった願いであり応援だ。説教とか糾弾とか指摘ならば、確かに島本和彦に他人の事が言えるの?と考える人だっているかもしれない。でもこれは、エールだ。ちょっとおちゃらけリップサービスなんだ。だからどんな無責任な事でも言っちゃって良いんです。*2

※微妙に編集しました。

*1:勿論気になる人もいると思う。

*2:勿論指摘な要素もあると思うけどね。ただ指摘をメインとしている発言では無いだろう